この絵本を読んだきっかけは、知り合いの猫仲間の方から「すごく良い絵本があるよ!」と教えて頂き、どんなものだろうとインターネットで検索したことがきっかけでした。
表紙を見た瞬間、わが家のビーフ先生と同じ白黒ハチ割れ猫が描かれていたこともあって、私は迷わず購入しました。
今回は第9回絵本・児童書大賞参加作品の「ねことげぼく」を読んで、その感想をお話ししていきたいと思います。
猫ならではの視点で書かれた作品
この作品の主人公は4歳の男の子の家に仔猫の時に引き取られたオス猫です。
彼は自分のことを「わたし」と言い、「わたし」を一所懸命世話をする男の子のことを「げぼく」と呼んでいます。
皆さんもお気づきの通り、このタイトルの「げぼく」は人間から見た猫がげぼくではなく、猫から見た人間が「げぼく」なのです。
私もそうですが、猫と暮らされている方なら、まずここで共感が生まれると思います。
なぜなら、猫は常にわがままで、自分勝手で掴みどころがありませんよね?
撫でて欲しいと言われて撫でていたらガブリとやられるし、気持ちよく寝ていても自分がお腹がすいたら早朝でも問答無用で起こしにきます。
この作品の「げぼく」である男の子も「わたし」に翻弄されつつ一生懸命お世話をしています。
猫は尽くしても見返りを与えてくれません。
猫と暮らして幸せと感じられるのは、みなさんや私を含め、この作品に出てくる「げぼく」の男の子も『尽くす喜び』を与えられているからではないでしょうか?
まさに猫にとって私たちは忠実な『げぼく』ですよね。
この作品は、そういう猫の視点から描かれている作品なのです。
最期のときに思うこと
生きていれば必ず死があり、別れがあります。
それはもちろん猫にとっても同様です。
多くの場合、猫の方が私たちより先に旅立ってしまいます。
この作品に出てくる「わたし」も、「げぼく」の男の子に引き取られて18年後、とうとうその時がやってきます。
その時、「わたし」は「げぼく」の男の子に対してどういう思いで、どういうメッセージを残していったのでしょうか?
この部分についてはこれから読もうとされている方へのネタバレになるので詳しくはお話はしませんが、間違いなく「わたし」に尽くした「げぼく」の男の子は愛されていたということです。
絵本の後半で、息を引き取った「わたし」が、大きくなった「げぼく」の男の子に抱かれているシーンがあります。
そのシーンでは泣きじゃくる男の子に抱かれた「わたし」はとても幸せそうな表情をしています。
そして、「わたし」は「げぼく」の男の子にとても優しいメッセージを送っています。
このシーンを見て思うことは、男の子が精いっぱい「わたし」を愛し、一緒に居る時間を幸せと感じたことが「わたし」にもしっかり伝わっていた瞬間でした。
私の想像ですが、「げぼく」の男の子はこの時いっぱい泣いたけれど、今は立ち直って前向きに生きているのではないでしょうか。
私も過去に大事な愛猫2匹とお別れをしています。
その時は勿論とても悲しかったですが、時間とともに喪失感や心の痛みよりも、与えてくれた幸せな時間を思い出し、感謝することの方が多くなりました。
あの時、噛まれたり引っかかれたり、いたずらしたことも全て笑い話や楽しい思い出に変わっているのです。
こう思えるのは、自分が一生懸命愛した証なのだと今は思っています。
この作品の「わたし」と「げぼく」の男の子の別れも、ただ悲しいだけのものではなく、「わたし」と過ごした楽しい日々に感謝をしているのではないかと私は思います。
まとめ
正直、この感想を書くために読み返した僕はまた泣いてしまいました(笑)
この絵本はページ数自体は少ないので、読めば一瞬で読み終えてしまいます。
しかし、その文章ひとつひとつが、猫と猫を愛する飼い主の思いや共感がいっぱい詰まっています。
気取った表現や難しい言い回しは何一つありませんが、逆にそれがストレートに私たちの心に響いてくるのだと思います。
この作品は、すでに忠実な「げぼく」の方も、見習い「げぼく」の方にも是非読んで頂きたい一冊です。
きっと、目の前にいる愛猫を優しく撫でたくなるに違いありません。
『わたしのげぼく』
上野そら :作
くまくら珠美:絵
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